今井正人(トヨタ九州)の大学時代が凄かった!山の神のエピソードや由来も!

毎年元旦に行われている全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)では、箱根駅伝で活躍した選手も数多く出場していることで注目されていますよね。

その出場者の中で、トヨタ九州に所属している「今井正人(いまい・まさと)」選手は、大学時代箱根駅伝で驚異的な走りを見せ「山の神」と呼ばれていますよね。

今回は、来年のニューイヤー駅伝に出場が予想されるトヨタ九州の今井正人選手が数々の伝説を打ち立てた大学時代について紹介していきたいと思います。

また、山の神と呼ばれている今井正人選手ですが、そのエピソードや由来についても紹介していきましょう!

今井正人(トヨタ九州)のプロフィール

まずは、今井正人選手のプロフィールを紹介していきます。

生年月日:1984年4月2日(34歳)

出身地:福島県小高町(現:南相馬市)

身長:169cm

体重:55kg

出身大学:順天堂大学(スポーツ健康科学部)

現在はマラソン選手(陸上選手)として活躍している今井正人選手ですが、小中学時代は野球に打ち込んでいました。

しかし、当時から足が速かったため、助っ人として駅伝大会に出場することがあり、ついには「都道府県対抗男子駅伝」に福島県代表として出場しました。

陸上を本格的に始めたのは高校からで、その頃から才能が開花し注目されていました。

今井正人は大学時代が凄かった!

今井正人選手が全国的に注目されたのは、大学時代に出場した箱根駅伝です!

箱根駅伝には1年生の時から出場していたのですが、2年生から山上りの5区に起用されると驚異的な記録を打ち立ててきました。

初めて5区を走った第81回大会(2005年:2年生)では、5区史上最多の11人抜きと区間新記録達成し、大会最優秀選手に贈られる「金栗四三杯」を受賞しました。

5区の距離が大幅に伸びた翌年の第82回大会(2006年)には、故障明けながらも区間賞を獲得し、チームの往路優勝に貢献しました。(その年の総合優勝は亜細亜大学)

そして、その走りが高く評価され、2年連続で金栗四三杯を受賞しました。

最後の箱根駅伝となった第83回大会(2007年)は、主将として5区を走り、前年に自身が打ち立てた区間記録を25秒も更新する1時間18分5秒で区間新記録を達成し、チームを往路優勝・総合優勝へと導きました。

そして、3年連続で金栗四三杯を受賞しました。(佐藤悠基:東海大と2年連続同時受賞)

ちなみに、この大会で「山の神」と呼ばれるようになりました。

このように、大学時代は箱根駅伝で3年連続で区間新記録と大会最優秀選手に輝き、強烈なインパクトを残しました。

今井正人山の神のエピソードや由来も!

今井正人さんが山の神と呼ばれてから2年後に、東洋大学の柏原竜二さんが今井正人さんが持っていた区間記録を更新し、過去4回走り全て区間賞を獲得(うち3回区間新記録)したことで柏原さんは「新・山の神」と呼ばれるようになりました。

くしくも、今井正人選手と柏原竜二さんは、同じ福島県の浜通り出身ということもあり、柏原さんが区間新記録を打ち立てた時、東京のスタジオにゲストとして出演していた今井正人選手は、柏原さんについて「同じ福島県出身の後輩が自分の記録を抜いてくれて嬉しい」と賛辞を送っていました。

では、今井正人選手が山の神と呼ばれるようになった由来はどのようなことなのでしょうか?

11人抜きを達成した第81回大会以来他校の選手から「山登りの神様」と言われるようになっていましたが、山の神というのを広めたのは、今井正人選手と同じ5区でしのぎを削った日体大の「北村聡選手」が「5区には(山の)神様がいる。今井さんと勝負したい」と発言したことがきっかけと言われています。

そして、第83回大会で今井正人選手が往路優勝を決めた瞬間、実況アナウンサーが「今、山の神、ここに降臨!その名は今井正人!」という名言を残し、以来今井正人選手は山の神と呼ばれるようになりました。

たしかに、驚異的な走りだったので山の神と呼ばれても全く違和感ありませんでしたね!

今井正人(トヨタ九州)の大学時代が凄かった!山の神のエピソードや由来も!:まとめ

というわけで、今井正人選手の大学時代と山の神のエピソードや由来を紹介していきました!

来年のニューイヤー駅伝での今井正人選手の走りに期待したいです!

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