7月18日まで行われた大相撲名古屋場所が綱取りの場所だった大関照ノ富士は、全勝で優勝を争っていた白鵬と千秋楽相星決戦で敗れ惜しくも優勝を逃しましたが、14勝1敗という好成績を収め、場所後に横綱昇進を果たしました!
今回は、第73代横綱に昇進する照ノ富士のプロフィールを紹介していきたいと思います!
また、横綱は土俵入りする際の型である「雲竜型」と「不知火型」の2種類がありますが、照ノ富士はどちらの型になるのかや、伝達式で述べる口上についても触れていきたいと思います!
最後まで楽しんでいってください!
照ノ富士のプロフィール!
四股名:照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)
本名:ガントルガ・ガンエルデネ
生年月日:1991年(平成3年)11月29日
出身地:モンゴル・ウランバートル市
身長:192cm
体重:177kg
血液型:O型
所属部屋:伊勢ケ濱部屋
得意技:右四つ、寄り、極め出し、小手投げ
角界入門~初土俵
2009年3月に来日し、鳥取城北高校へ編入。
その年の全国高等学校総合体育大会の相撲競技で団体メンバーの一人として優勝に貢献しました。
2010年に当時の「間垣部屋」に入門し、翌2011年5月の技量審査場所で初土俵。
入門当時の四股名は「若三勝」でした。
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破竹の勢いで関取昇進!そして大関へ!
照ノ富士は初土俵から幕下まで、全ての段を一場所で通過する活躍を見せ、初土俵から2年が経った2013年9月場所で新十両に昇進しました。
また、この年の3月場所限りで所属していた間垣部屋が閉鎖し全員で現在所属している伊勢ケ濱部屋へ移籍し、新十両昇進を機に四股名を「照ノ富士」と改名しました。
十両に上がってからも勢いは止まらず、わずか2場所で十両を通過し幕内に上がると、わずか4場所で三役に昇進を手にしました。
ちなみに、初めての三賞だった敢闘賞を受賞した2015年1月場所は東前頭2枚目でしたが、翌3月場所は小結を通り越して関脇に昇進しています。
そして新関脇だった3月場所で13勝2敗の好成績を挙げ、翌5月場所では12勝3敗で初の幕内優勝を果たし、場所後に大関へ昇進しました。
照ノ富士は「平成生まれ初の大関」と話題になり、初土俵から僅か4年で大関まで上り詰め、将来の横綱候補と期待されていました。
両膝の負傷で大関陥落
しかし、大関に昇進してからは両膝の負傷や悪化により思うような結果を残せてなく、大関の皆勤連敗記録といった不名誉な記録を更新する屈辱を味わいました。
唯一優勝に近付いたのが2017年3月場所で、この場所は千秋楽までトップを走っていましたが、この場所新横綱だった稀勢の里に本割と優勝決定戦で敗れ、稀勢の里に逆転優勝を許してしまいました。(成績は13勝2敗)
そしてこの年の9月場所で2場所連続で負け越しとなり、14場所務めた大関から陥落しました。
両膝と病気の悪化で序二段まで転落
大関陥落後の照ノ富士は勝ち越しどころか皆勤出場もままならない状態で、両膝は大関時代よりは少し良くなりましたが、今度は糖尿病や腎臓結石、さらにC型肝炎などを患っており、稽古はおろかトレーニングもまともに出来ない状態でした。
さすがの照ノ富士も、この時は期引退を何度も考えいたようですが、師匠の伊勢ケ濱親方と部屋の力士や周囲の関係者が必死に説得していました。
親方からは「辞めるにしても辞めないにしてもまずは病気を治せ」とアドバイスを受け、周囲の人達からの応援に応えるために現役続行を決意しました。
ちなみに、角界では幕下力士は身の回りの世話を1人でやらなければいけないルールになっていますが、両膝や病気の悪化の為、付け人は免除してもらい、大関時代の付け人が雑用を手伝ってくれていたとのことです。
それだけ周囲は照ノ富士の復帰を信じていたんですね。
土俵に復帰!そして再び関取へ
限られた中で復帰に向けたトレーニングや摂生に努め、2019年3月場所、西序二段48枚目の番付で本場所に復帰しました。
休場中は名力士の取り組みを動画で視聴して研究をしており、大関時代は力任せの強引な取り口が特徴的でしたが、復帰後は技術を磨き踏み込んでまわしを取る相撲に改良しました。
また、以前は過激な発言をしたりと感情を出す場面もありましたが、復帰後はどんなに良い相撲を取り好成績を収めても決して浮かれない姿勢となり、その姿勢に八角理事長などの角界関係者が高く評価しています。
復帰後はデビューして間もない頃のように序二段、三段目を一場所、幕下を3場所で通過し、2020年1月場所で再び十両へ昇進しました。
その1月場所では13勝2敗で十両優勝を決め、翌3月場所も2桁勝利を収め、5月場所での再入幕を確実にしました。(新型コロナウイルスの影響で5月場所は中止となり、5月場所の番付は7月場所にスライドされた)
一度地獄を見た者は強くなって帰って来ましたね!
再入幕で復活優勝!そして再び大関へ!
返り入幕だった2020年7月場所では、東前頭17枚目の幕尻でしたが、この場所で優勝争いに加わり、この場所新大関だった朝乃山に勝利するなど13勝2敗で、自身2度目の幕内優勝を果たしました。
続く9月場所は東前頭筆頭で11日目に勝ち越しを決め三役復帰を確実にしましたが、左膝の悪化で13日目から休場しました。
11月場所は東小結で三役復帰を果たしましたが、新三役の時は関脇まで飛び級しており、関脇から陥落する時も小結を通り越して平幕に落ちたので、「新小結」となりました。
その場所でも照ノ富士は好調で、場所中優勝争いのトップを走っていた貴景勝を千秋楽で破り13勝2敗で並び優勝決定戦に持ち込みましたが、本割で力を出し尽くしたのか決定戦では何も出来ずに貴景勝に敗れてしまいました。(この場所は技能賞を獲得し、優勝すれば殊勲賞も受賞でしたが、敗れたため受賞はなりませんでした。)
年が明けた2021年1月場所では東関脇の地位に戻りましたが、この場所も好調で、11勝4敗と2場所連続2桁勝利で場所を終え、11月場所に続き技能賞を獲得しました。
そして2場所終えた時点で24勝としており、大関昇進の目安とされる「三役の地位で直近3場所で33勝」にあと9勝まで来ていることから、次の3月場所が大関復帰を懸けた場所となりました。
照ノ富士は復帰後のインタビューで「まずは元の地位に戻りたい」と大関復帰を目標に掲げていました。
しかし、過去に直前場所を9勝で大関に昇進した前例が無いので、大関昇進には「2桁勝利」が絶対条件となりまhした。
そして迎えた3月場所でも安定して白星を積み重ねていき、終わってみれば12勝3敗で3度目の優勝を果たし、文句なしで場所後に大関復帰を果たしました。
ちなみに、関脇以下で優勝を3回経験したのは史上初めてのことです。
憧れの最高位『横綱』へ!
大関復帰を果たした5月場所でも照ノ富士の強さは安定しており、初日から10連勝し優勝争いのトップを走りますが、終盤に2敗を喫し、千秋楽で貴景勝に敗れ、12勝3敗同士で優勝決定戦に持ち込まれました。
しかし優勝決定戦では貴景勝を破り、自身初の2場所連続優勝となる4回目の幕内優勝を果たしました。
前年11月場所の時とは逆の展開となりましたね。
そして、師匠で審判部長の伊勢ケ濱親方が、次の7月場所は「綱取りの場所」になると明言しており、照ノ富士の最高位への挑戦が始まりました。
そして迎えた7月場所は、6場所連続休場明けから復帰し、この場所が進退を懸ける場所となった白鵬と14日まで全勝で優勝を争い、千秋楽全勝決戦へと持ち込みました。
千秋楽では惜しくも白鵬に敗れましたが、自己最多となる14勝1敗は横綱昇進条件である「優勝に準ずる成績」をクリアしており、1千秋楽後に伊勢ケ濱審判部長が、場所後に横綱昇進を協議する臨時理事会召集を八角理事長に要請したことから、この時点で照ノ富士の横綱昇進が事実上決定しました。
千秋楽翌日の横綱審議委員会の会合では、出席した委員7人の全会一致で照ノ富士の横綱推挙が決定し、7月21日の9月場所の番付編成会議と臨時理事会の承認を経て、「第73代横綱 照ノ富士」が誕生しました!
横綱昇進は、2017年1月場所後の稀勢の里以来約4年半ぶり。
モンゴル出身力士の横綱昇進は、2014年3月場所後の鶴竜以来7年ぶりで5人目。
照ノ富士は、「平成生まれ初の横綱」でもあり、「令和初の横綱」となりました。
さらに、「序二段まで転落して再び大関になり、横綱に昇進」したのも史上初のことです!
伝達式の口上は?
大関や横綱に昇進が決まった力士は、所属部屋で相撲協会からの使者が昇進決定の旨を伝える「昇進伝達式」が行われ、その場で力士は大関や横綱になった決意を表明する「口上」を行います。
「謹んでお受け致します。」から始まり「本日は誠にありがとうございました。」で終わる口上ですが、その中間には力士によって様々な決意を表す口上がこれまで何度も話題になりました。
照ノ富士は口上を伊勢ケ濱親方や女将さんと考えると述べていましたが、7月21日に行われた伝達式で
「謹んでお受け致します。不動心を心掛け、横綱の品格、力量の向上に努めます。本日は誠にありがとうございました。」
と述べました。
これまでの横綱とは少し変わった珍しい口上ですが、横綱は何たるものかという決意が込められていて素晴らしいです!
土俵入りの型は?
横綱が土俵入りする際の型は「雲竜型」「不知火型」の2種類ありますが、土俵入りの型は所属する部屋や一門によって決められており、自分で好きな方を選ぶことは出来ないことになっています。(ただし、例外あり)
照ノ富士の師匠で元横綱・旭富士(第63代)の伊勢ケ濱親方は不知火型で、兄弟子の元横綱・日馬富士さんも不知火型だったので、照ノ富士は「不知火型」になる可能性が高いですね!
現在不知火型は白鵬の型なのが有名ですが、実は不知火型で土俵入りした横綱は意外と少ないんですよね。
雲竜型の方が多く、過去には大鵬、北の湖、千代の富士、曙、貴乃花、朝青龍、稀勢の里など歴史に名を刻んだ名横綱はみんな雲竜型だったんですよね。
奇跡の復活劇で数々の記録を作ってきた照ノ富士には、記録よりも記憶に残る横綱になってほしいです!
もちろん、良い意味で記憶に残ってほしいです!
まとめ
今回は、第73代横綱に昇進した照ノ富士について紹介していきました!
横綱となった照ノ富士の今後の活躍に注目です!
最後までご覧になっていただきありがとうございました!
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