新型コロナウイルスの感染拡大により休場者が続出し、異例の場所となった大相撲名古屋場所は、平幕の逸ノ城が初優勝を果たしました。
過去に優勝争いに加わりながら、あと一歩のところで手が届きませんでしたが、ついに天皇賜杯を手にしました。
そこで今回は、大相撲名古屋場所で初優勝を果たした逸ノ城関はどんな力士なのかを紹介していきます!
さらに、逸ノ城関が大関昇進する可能性がどれくらいあるのか、そちらについても触れていきたいと思います!
最後まで楽しんでいってください!
逸ノ城のプロフィール!
名前:逸ノ城駿(いちのじょう・たかし)
生年月日:1993年(平成5年)4月7日
出身地:モンゴル・アルハンガイ
身長:192cm
体重:211kg
得意技:右四つ・寄り
所属部屋:湊部屋
入門前
モンゴルの首都ウランバートルから400km離れた草原でヒツジやヤギなどを飼いながら季節によって移動して生活していた遊牧民の出身で、幼い頃は牛の生乳を毎日2リットル飲んでいました。
また、幼少時代からモンゴル相撲に親しんでおり、14歳の時にアルハンガイの県大会で優勝した実績があります。
逸ノ城関に転機が訪れたのが、2010年に鳥取城北高校相撲部監督で、宮城野部屋の石浦関の父親である石浦外喜義氏に才能を見出されスカウトされました。
逸ノ城関は、来日し鳥取城北高校に相撲留学し、高校時代は2年生、3年生の時にタイトルを5つ取りましたが、「高校横綱」は残念ながら取れませんでした。
高校卒業後は角界に入門せず、実業団へ進みました。
その理由は、実業団で活躍すれば入門時に「幕下15枚目格付出し」の資格を得られるからです。
それが無ければ、いくらアマチュア時代に実績を残しても前相撲からのスタートとなる茨の道が待っています。
逸ノ城関は2013年の「全日本実業団相撲選手権大会」で優勝し「実業団横綱」になったことで幕下15枚目格付出しの資格を得ました。
そして、全日本実業団相撲選手権大会直後に湊部屋へ入門しました。
ちなみに、四股名の由来は、「イチンノロブ」の「イチ」、人並外れた才能を持つ「逸材」の「逸」と、出身校の鳥取城北高校の「城」を取り「逸ノ城」と名付けられました。
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初土俵から破竹の勢いで十両、幕内昇進!
2014年初場所で初土俵を踏んだ逸ノ城関は実業団横綱の実力を発揮し、初土俵から僅か2場所(2014年夏場所)で新十両を果たしました。
新十両で迎えた夏場所では11勝4勝でで十両初優勝を果たし、翌名古屋場所も13勝2敗の好成績を残し、秋場所で新入幕昇進を果たしました。
幕下付出格で所要4場所での新入幕は、史上2位のスピード出世でした。
新入幕で大勝ち!モンスターと話題に!
猛烈な勢いで幕内昇進を果たした逸ノ城関は、2014年秋場所で新入幕を果たしますが、当時は入門から1年も経っていなかったため髪が伸びておらず髷が結えなかったため、「ざんばら頭(オールバック)」で相撲を取る姿が話題になりました。
そして逸ノ城関は幕内でも怪物ぶりを発揮し、初日から6連勝、11日目には大関稀勢の里(当時)、12日目には豪栄道と2日連続で大関を撃破、さらに13日目には横綱鶴竜を撃破し、新入幕で金星を獲得、1横綱2大関を倒し「13勝2敗」の大勝ちで場所を盛り上げました。
逸ノ城関と対戦した力士は口を揃えて「腰が重い」とお手上げ状態で、「モンスター」と呼ばれ話題になりました。
新入幕で13勝を挙げたのは、1964年初場所の北の富士勝昭さん以来の快挙でした。
そして逸ノ城関は、次の九州場所では幕内下位から一気に関脇まで飛び級し新三役へ昇進しました。
この当時から将来の横綱候補と言われるようになり、この記事の作者も、2年くらいで横綱、最低でも大関になるのではと思っていました。
ところが、それから逸ノ城関は横綱どころか大関にもなれず、三役や平幕を行き来しており現在に至っています。
その理由は、「腰痛」です。
逸ノ城関は腰痛を患ったことで本来の力強い相撲が取れなくなりました。
それに加え、やられっぱなしでたまるかと言わんばかりに逸ノ城関の相撲を研究し、対策を練られていました。
中々三役や幕内上位に定着しなかったのはその為だったんですね。
2度の優勝のチャンスの壁になった横綱白鵬!
逸ノ城関は新入幕だった2014年秋場所の他に、もう1場所優勝するチャンスがありました。
それは、2019年春場所のことです。
平成最後の本場所となったこの場所では、場所後に貴景勝が大関に昇進するなど話題になりましたが、この場所の主役は逸ノ城関でした。
西前頭4枚目で迎えた逸ノ城関はなんとこの場所で新入幕を上回る「14勝1敗」の好成績を収める大活躍を見せました!
しかし、残念ながら優勝は出来ませんでした。
その理由は、白鵬が全勝優勝を果たしたからです!
優勝決定戦で対戦していないのに14勝して優勝出来ないのは少し考えられないですね。
それだけ当時は白鵬が大きな壁となっていたんですね。
新入幕の場所でも、逸ノ城関は白鵬に敗れて優勝を逃し、この場所は白鵬が優勝を果たしました。
当時の大相撲は白鵬を中心にハイレベルが戦いを繰り広げていたんですね。
当時の熾烈さについて、稀勢の里の二所ノ関親方は、「前半で2敗したら勝ち越せる確率が一気に下がった」と述べており、現在の幕内については、「中日まで五分(4勝4敗)でもまだ巻き返せる」と、レベルの低さを嘆いていました。
白鵬、恐るべし!
照ノ富士とは盟友でありライバル!
逸ノ城関と照ノ富士関は、モンゴル時代同じ柔道道場に通い、同じ鳥取城北高校に通い、同じ飛行機で来日しただけでなく、高校時代の寮で同じ部屋だったという仲です。
一足先に照ノ富士関は角界に飛び込み、番付も先に駆け上がっていきましたが、二人はライバルとして凌ぎを削っていますが、同じくケガに苦しんでいたりと共通点があります。
優勝した名古屋場所は本割で照ノ富士関に勝っているので、ライバルを破って優勝を勝ち取ったのは感動しますね。
逸ノ城大関昇進の可能性は?
悲願の初優勝を果たした逸ノ城関ですが、ここ最近は三役や幕内上位に定着してきており、徐々に本調子に戻ってきています。
そうなるといよいよ大関取りが射程圏内に入ってきますが、大関昇進のカギとなるのは、逸ノ城関の腰の具合です!
腰を患う前なら、多少取り口に対策を取られていたとしても持ち前の怪力で圧倒出来ていましたが、腰の具合によって取り組みに影響するので、腰の具合が良ければ大関も狙えるのではないでしょうか。
元々ずば抜けた素質があるので大関や横綱になっていてもおかしくないので、今年残り2場所で大関への足固めが出来るか注目です。
まとめ
今回は、名古屋場所で初優勝を果たした逸ノ城関について紹介していきました!
逸ノ城関、優勝おめでとうございます!
逸ノ城関の今後の活躍に注目です!
最後までご覧になっていただきありがとうございました!
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