また一人、昭和の大スターがこの世を去りました・・
俳優の渡哲也さんが、8月10日に肺炎のため逝去されました。78歳でした。
我々が渡さんの訃報を知ったのは8月15日で、私も含めて驚いている方も数多くいるのではないでしょうか。
今回は、渡哲也さんのエピソードや伝説などを紹介し、渡さんを偲びたいと思います。
渡哲也さんのプロフィール
本名:渡瀬道彦
生年月日:1941年12月28日
没年月日:2020年8月10日
出身地:兵庫県淡路島
身長:180cm
血液型:B型
俳優の渡瀬恒彦さんは、渡哲也さんの実弟です。(2017年死去)
誕生日が石原裕次郎さんと同じ。
1965年「あばれ騎士道」でデビュー、以降50年以上にわたり数多くの映画やドラマなどに出演。
特に石原軍団を象徴する刑事ドラマ「西部警察シリーズ」では、角刈りにサングラスがトレードマークとなり、当時「サングラスといえば?」という質問で、渡哲也と答える人が数多くいました。
1987年に石原裕次郎さんが死去したのに伴い石原プロモーションの社長を引き継ぎ、石原軍団を支えてきました。
残念ながら石原プロモーションは2021年1月16日を以って芸能事務所としての業務を終了することになり、石原軍団は解散することになります。(石原プロモーションの称号を石原裕次郎の仏前に返還するという名目)
裕次郎さんの妻で石原プロモーション代表取締役会長の石原まき子氏によると、裕次郎さんの遺言が「俺が死んだら即会社をたたみなさい」でしたが、渡さんはじめ石原軍団の強い意志と責任感から、30年以上裕次郎さんの遺言を言い出せず、34回忌を迎えた今年、ようやく実行に移せたとのことです。
それから間もなく、渡哲也さんは裕次郎さんの元へ旅立たれたので、これも何かの運命なのかなと思いました。
渡哲也さん念願の裕次郎さんとの初共演CMがこちら!
渡哲也さんといえば、宝酒造の「松竹梅」CMに出演されていることで有名ですよね。
渡さんのイメージが強くなっているこちらのCMですが、元々は石原裕次郎さんが出演していたCMだったので、裕次郎さんが亡くなられた後は渡さんが引き継いだ形になりますね。
そして裕次郎さんと初めて共演した最新CMがこちらです!
1970年から始まった松竹梅CMも今年で50周年を迎え、こちらのCMがシリーズ最後となりました。
裕次郎さんはCGで加工されてますが、渡さんは最近のお姿のようですね。
くしくもこちらのCMが、渡哲也さんが出演している最期のCMとなってしまいました。
残念なことですが、裕次郎さんと共演している渡さんが嬉しそうな表情をしているところが良いですね。
渡さんの「よろこびとは?」という問いに裕次郎さんが「飲むことよ」と返すシーンが渋くて深いですね!
今頃渡さんは、CMのように裕次郎さんと酒を交わしながら思い出話に花を咲かせているのではないのでしょうか。
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渡哲也さんのエピソードや伝説を紹介!
渡さんのエピソードとして有名なのが、撮影現場などでベテランから若手まで挨拶を受ける際、立ち上がって握手をしながら声を掛ける寛大な対応をすることです。
これは、渡さんがデビュー当時、食堂で食事をしていた石原裕次郎さんに挨拶に行った際、「石原裕次郎です。君が新人の渡君ですか、頑張ってくださいね。」と声を掛けてくれたことがきっかけです。
本来なら、食事中に挨拶をするのは失礼なことなため、他の俳優なら怒られて当然ですが、裕次郎さんは怒りもせず立ち上がって自ら進んで握手してくれたことに渡さんは感激し、自らも裕次郎さんに習っていたとのことです。
実際に西部警察の撮影で初対面した舘ひろしさんや、ドラマで共演した岡田准一さんなどはかつての渡さん同様に感激したと述べています。
渡さんは特に厳しいことで有名で、石原良純さんは渡さんについて「とにかく怖くて厳しかった」と述べています。
しかし、厳しい反面優しさも強く持っていました。
というわけでここでは、渡哲也さんの伝説をいくつか紹介していきたいと思います!
激怒する演技で石橋貴明さんを半泣きにさせる
とんねるずの石橋貴明さんといえば、お笑い界に大きな影響を与え続けている大物芸人ですよね。
怖いもの知らずでガンガン攻めていく笑いのスタイルは、数多くの後輩芸人の憧れの存在となりました。
そんな石橋さんですが、渡哲也さんに恐怖を覚えたことがあります。
それは、今から25年前の1995年のことです。
当時日本テレビで「とんねるずの生でダラダラいかせて(通称:生ダラ)」というバラエティ番組をやっており、その人気コーナーの「カート対決」で石橋さんが負けた罰ゲームとして、石原プロに保管されている西部警察の特殊車両や渡さんの車を洗わされることになり、罰ゲーム終了後石橋さんは渡さんに報告をしに行きました。
しかし本当の罰ゲームは、渡さんの目の前で「松竹梅」言う。そして、渡さんのことを「テツ」と呼ぶことです。
そして石橋さんが松竹梅と言った後、渡さんの肩をポンと叩きながら「いいジャケット着てるな、テツ」と語りかけた瞬間、テーブルを蹴り上げ、廊下に逃げ込んだ石橋さんを追い詰め怒号を浴びせました。
実はこの罰ゲーム、舘ひろしさんが仕込んだドッキリで、事前に渡さんに「(石橋に)テツと言われたら本気で怒ってください」と頼んでいました。
ただ渡さんは「俺はそういうの苦手なんだよ」と消極的でしたが、舘さんから「いや、得意です」とツッコまれ協力することになりました。
しかし、渡さんの迫力ある演技に仕掛け人の舘さんも驚き、慌ててネタばらしをしていました。
ネタばらし後は満面の笑みで石橋さんと握手していましたが、石橋さんは周りが驚く程顔が青ざめており半泣きしていました。
それから25年間、石橋さんがテレビで青ざめる姿は見掛けていないので、今では貴重な瞬間だったと思います。
ちなみに、舘ひろしさん曰く、渡さんのことを面と向かってテツと呼べるのは、石原裕次郎さんだけとのことです。(番組では「先代だけ」と述べていました)
草彅剛さんの手作りカレーを食べるまで5時間待っていた
初期の頃の「ぷっすま」に渡さんがゲスト出演した際、草彅さんが渡さんに手作りカレーを振る舞うというコーナーがありました。
草彅さんの手作りカレーは美味しいと絶品でしたが、材料の調達から始めたので、カレーが完成するまで5時間も掛かり、その間渡さんはずっと待ち続けていました。
草彅さんはチキンカレーを作ったのですが、茹でた具材は全て冷えており、人に出すには失礼極まりない状態でした。
それでも渡さんは草彅さんが作ったカレーを食べ、「カレーがこんなに奥深いものだとは、本当に剛くんに教えていただきました。最高に美味しい、good」と絶賛していました。
ぷっすまでは後に草彅さんがカレーを作る事に触れられると「カレーを作るのに渡哲也さんを5時間待たせました」というようなテロップが出るのが当たり前となりました。
まとめ
今回は、渡哲也さんのエピソードや伝説について紹介していきました。
渡哲也さんのご冥福をお祈り致します。
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