落語会からまた一人、名人がこの世を去りました。
笑点メンバーである、三遊亭円楽さんが9月30日、肺がんのため亡くなりました。
72歳でした。
今回は、追悼の意味を込めて、三遊亭円楽師匠がどのような方だったのか。
笑点でのエピソードや、円楽さんが叶えられなかった2つの夢について紹介し、円楽師匠を偲びたいと思います。
6代目三遊亭円楽さんのプロフィール
名前:三遊亭円楽
生年月日:1950年(昭和25年)2月8日
没年月日:2022年(令和4年)9月30日
出身地:東京都墨田区
旧名:三遊亭楽太郎
師匠:5代目三遊亭円楽
出囃子:元禄花見踊
1970年4月、青山学院大学在学中、後の師匠となる5代目三遊亭円楽さんの鞄持ちのアルバイトに志願。
その後、付き人となり、スカウトを経て入門し、「楽太郎」を名乗り、6代目円楽を襲名するまで「三遊亭楽太郎」として活動します。
1976年7月に二つ目昇進、5年後の1981年3月に真打に昇進します。
2010年3月1日、師匠である5代目三遊亭円楽さんが引退することに伴い、「円楽」の名を継ぎ「6代目三遊亭円楽」を襲名する。
近年は大病を患い闘病生活を余儀なくされており、2018年には「肺がん」、2019年には「脳腫瘍」を患っており、2020年には、肺がんを再発したことや、初期の大腸がんを患っていたことも公表されていました。
2022年1月には脳梗塞を発症し、リハビリと肺がんの経過観察、治療などにより夏頃まで休養し、8月11日に国立演芸場の8月中席で高座復帰を果たし、感極まっていました。
ところがその後、軽度の肺炎を発症し再び闘病生活を余儀なくされ、9月30日に死去しました。
笑点でのエピソード
円楽さんは、二つ目時代の1977年から笑点メンバーとなり、亡くなるまで45年間もレギュラーとして出演されていました。
大喜利では時事ネタを盛り込んだ解答が特徴ですが、何と言っても、毒舌や腹黒なキャラで師匠や先輩の落語家に対して容赦ないイジリをするのが笑点の名物でした。
特に、桂歌丸師匠に対しては、解答席が隣同士だったこともあり、度々、老けていることや薄毛をネタにし、その度に歌丸さんから制裁を加えられていました。
歌丸さんが司会になってからも「歌丸イジリ」は相変わらずで、今度はイジればそれだけ座布団を取られていました。
歌丸さんが司会の時は、解答席が両隣の春風亭昇太さんと林家たい平さんを巻き込んで「ブラック団」なるチームを結成し、3人で歌丸さんをイジって、3人とも座布団を没収されることがよくありました。
実は、歌丸さんが司会になられた当時は円楽さんはイジってこなかったと、後年歌丸さんが述べていました。
そこで歌丸さんが仕掛けて、冒頭の挨拶で円楽さんを煽ったことで、解答者時代のように歌丸さんをイジり始めたようです。
歌丸師匠も牙が抜けた円楽さんじゃつまらなかったのでしょうね。
三遊亭円楽が叶えられなかった2つの夢
生前の円楽さんには、2つの夢がありました。
その夢とは一体何だったのでしょうか?
「圓生」襲名
円楽さんの1つ目の夢は、「圓生(えんしょう)」襲名です!
圓生は、円楽さんが所属する「五代目円楽一門会」の大名称で、5代目円楽師匠の師匠(6代目円楽さんの大師匠)である、6代目圓生師匠が襲名してから誰も襲名出来ていません。
6代目圓生さんが亡くなった1979年以来、43年間も出ておらず、円楽さんが「七代目圓生」に近い存在だと言われていましたが、圓生を襲名することなく、師匠達の元へ旅立たれました。
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落語協会統一
円楽さんのもう1つの夢が、「落語協会統一」です!
関西は「上方落語協会」として1つにまとまっていますが、関東は、円楽さんが所属する五代目円楽一門会など4つの協会があり、事実上の分裂状態です。
円楽さんは、分裂している関東4つの落語協会を1つに統一し、行く行くは上方落語協会も加わり、東西統一を目指し、長年活動してきました。
しかし、道半ばで落語協会統一の夢を果たすことが出来なかったので無念だったのでしょうね。
誰かが円楽さんの遺志を継ぎ、落語協会を統一する日が来るのでしょうか。
まとめ
今回は、6代目三遊亭円楽さんについて紹介していきました。
円楽師匠のご冥福を、心よりお祈りします。
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